6月の終わり、案内されたガーデンでは、アヤメが真っ盛りだった。久しぶりに清々しく晴れて気温も上がり、鳥や蝉たちが賑やかに鳴いている。
「花の時期の変わり目で、寂しくてごめんなさいね」。栄子さんは苦笑いしたが、広い庭園は小道が縦横に走り、若木もすっくと伸びている。花畑はまだ半ばとはいえ、鹿よけのネットで囲われた1000坪の土地は、奧の奧まで平たくならされていた。
 5年前、一面笹やぶの原野だったここで、「フラワーガーデンをつくろう」と、決心した栄子さん。まずは、背丈をゆうに超える笹を手で刈り、手で運び出すことからスタートしたという。
「よくできたなって、今になって思うのよ。あのときは、笹を何とかしなきゃってそれしか頭になかったんだけど…」。
 中標津町で生まれ育ち、高校卒業後、進学のため札幌へ行った。結婚後もずっと札幌暮らしは続き、今も札幌に自宅がある。10歳で始めた生け花は師範の腕前。けれど、ずっと主婦の趣味の範囲で花育てを楽しんできた。そんな栄子さんを故郷での一大ガーデン造りに向かわせた原動力は、悲しい出来事と偶然の出会いだった。
 それは、6年前。鼻の治療のために入院した先で思いもかけない大病が発覚したご主人が、入院僅か3週間余りで還らぬ人となる。医師の余命宣告が信じられない内に、現実となってしまった。
 30数年連れ添った伴侶の急死。栄子さんは、心の整理をつけようもなく塞ぎ込んだ。そんなとき、テレビで目にした一人の女性の軌跡に引き込まれた。
「紫竹ガーデン(帯広市)の女主人が、私と同じ境遇から立ち直ろうとフラワーガーデンを始めたと知って、胸を打たれました。そして、私も花に夢中になれば変われるかもしれない、と思ったんです」。
さっそく、故郷中標津に帰って場所探しを始めた。親戚の厚意で今の土地が使えることになったが、それは笹やぶだらけの荒れ野。「2年もやれば気が済むだろう」と、周囲はふんでいた。ところが、栄子さんの決心は固い。一人、黙々と力仕事を続ける姿に、いつしか親戚や同級生の手が加わり、みんなで青写真を描くうちに300坪は1000坪に膨らんでいた。

 5年目の今年、新しい道が完成した。水も引く。秋には、ギャラリー&カフェの丸太小屋も着工する。すべて、サポーターが得意技を持ち寄っての作業だ。栄子さん自身も、サポーターが所属する軟式野球チーム『NBオールドスターズ』(中標津・別海に住む60歳以上の還暦球児?が活躍!)の応援会員となり、写真の千代紙小物などの参加賞づくりに励む。「お返しするといっても、ささやかなんだけれど…」栄子さんは恐縮するが、話を聞けば、何やらみなさん生き生きと重機を操り、木工に汗を流しているとお見受けした。
左の女性は、サポーターの一人で親戚の森島史子さん。
「子どもの遊び場もつくってます。親子で、またはお孫さんと一緒に花を眺めて気持ちよく過ごしてもらいたい。ただ、それだけなんです」と、微笑む栄子さん。もちろん、「ガーデン花むら」は入場無料。
「丸太小屋が完成したら、お父さんの遺した油絵とお母さんが遺したちぎり絵の二人展を開こうか」。すっかり元気を取り戻した栄子さんの夢は、まだまだ終わらない。

「気軽にお越しください。まだこれからのお庭ですけど。一緒に花育て、庭づくりを楽しんでくれる方も大歓迎です」(栄子さん)
*連絡先/0153・72・3000
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