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はじめに
 2007年(平成19年)1月号の表紙は、年頭を飾るにふさわしい和装の女性にご登場いただきました。
 また、お正月を祝う意味と三が日は家事、炊事を控える日本古来のの習いに従って、本紙上では、今回に限り、従来のエプロンではなく着物をご紹介しています。

 新しい年が旧年より以上に、家族を照らし地域を照らす女性たちの笑顔であふれます様に、心より願って新年号をお届けいたします。
 肩から袖口、腰、そして裾へと流れる豪快な絞り模様。河の狭間で風にそよぐかのように描かれた薄墨色の葉柄。地色は、新雪を思わせる冴えた白。
 撮影の日、大山さんは、道東の冬景色を写し出したような美しい絞りの着物姿で迎えてくれた。これは、平成7年に80歳で他界した初代女将の大山ソノさんが、一人娘の美栄子さんに贈ったもの。
「着道楽な母でしてね。これも、絞りはこれからますます貴重になるからと、見立ててくれました」。
 昭和24年、木造平屋7室で創業した旅館大野屋は、その後27年、29年、31年、56年と順調に増築を重ねて、平成5年6月、現在の3階建て全34室の新館を落成させた。
「家族いっしょにできる仕事を」と、旅館をはじめた両親の懸命な仕事ぶりを間近にみて育った大山さんは、「まるで手の平で上手にお団子が丸められていくみたいに…(大山さん)」高校卒業後、迷うことなく調理師学校に進学。一年後、大野屋に入った。20歳のことだ。
 厨房、洗い場、浴場清掃、接客と状況次第で何でもこなしながら旅館を盛りたててきた。実務全般を任されてからも、あくまで初代女将を立てることを守り続けた。
「幼い頃から、女のたしなみについて母に厳しく仕込まれました。礼儀と思いやり、それと感謝。とにかく、きれい好きでよく働く人でした」。
 お母さんとのこんなエピソードに、その子育てぶりが窺われる。
「お花やお茶も習いましたが、一番好きだったのは3歳から始めた日舞です。引っ込み思案で病弱だった私を心配した母のすすめでした。根室の夏の風物詩、金刀比羅神社例大祭は、踊り手の晴れ舞台なんです。特に、華やかな第一区で踊ることは憧れでした」。
 二百年続く北海道三大祭りのひとつ、金刀比羅神社例大祭には「祭典区」と呼ばれるまちの区割りがある。
一区、二区、三区、東部、西部。それぞれの祭典区で隊を組み、神輿行列の際にはお囃子や太鼓、踊りが披露される。とりわけ、一区は花形とされ、踊り手は選抜制だ。大山さんは、小学校六年生の時に合格して第一区で初舞台を踏んだ。熱望していたステージだったが、練習の疲れや当日の暑さと緊張で疲れ果てていた彼女は、数回目の踊りで手を抜いてしまった。踊り終えた後に「こんなことじゃいけない」と、反省して帰路に着くと、鬼の形相で母が待っていた。
「手を抜いて、あんなみっともない踊りを人様に見せるなんてとんでもない」その剣幕は凄かった。見かねたお父さんが、横に並んで頭を下げて取りなしてくれるまで説教は止まなかった。
「怒る母と、一緒に詫びてくれた父と。どちらの愛情も胸が痛いほどでした」。
「懸命に生きることの尊さと人様への感謝の念を忘れるなと、母は教えてくれたんだと思います」。
 初代女将を看取って二代目となり12年目。景気回復がままならず、経営は厳しい。それでも、大山さんは「根室が愛されて、来てくださったお客様が喜んでくださるように務めたい。たくさんの出合いに生かされてここまでやってこられた感謝を込めて」と、微笑む。
 日本で一番早くご来光が昇る町、根室。
 元旦の朝は必ず着物で新年のご挨拶に回る女将の艶姿にも、
新年の光は降りそそぐことだろう。

※閉館しました

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