過去の本音対談(2006年7月号 vol.10〜2005年10月 創刊号)
2006年7月号 vol.10
無駄な消費じゃない、自己表現の衣文化発信を。
個人経営、路面店、北大通だからできる。
Abu store KUSHIRO SHOP
側 千文さん
北大通ファッションビレッジ推進委員会 代表

黒板五郎めざして大工修業。標茶へ、そして釧路で…
 オオカミと暮らす夫婦の姿をドキュメンタリー番組で観て、「矢も楯もたまらず標茶に会いに行った」。11年前、側さん31歳のことである。
 旭川市出身。TVドラマ『北の国から』の主人公黒板五郎に憧れ、離農跡を借りて暮らそうと本気で探した20歳の頃。その後、仕事は移ったが、変わらず抱き続けた大自然の中での自給自足生活の夢を叶えようと、当時、側さんは大工見習いの最中だった。
「標茶においで」。就職先も紹介されたが冬場は仕事がない。思案の末、懇意にしていた古着屋パウワウ(旭川)の釧路店を北大通で開く。
 平成8年、港まつりの日だった。

『北大通ファッションビレッジ推進委員会』
 側さんの店で出会い、ファッションや音楽を熱く語り合った若者達が一人、また一人、北大通で店を始めた。
 陰りゆく中心街で青春を過ごした彼らは、北大通を「空間そのものから作れる路面店」の良さを生かし、「文化発信基地に」と考える。
 昨年末、側さんを代表に6人の経営者で立ち上げた『北大通ファッションビレッジ推進委員会』。きっかけは百貨店撤退や老舗閉店に揺れる「マチをどうする?」だったが、ファッションへの深い思い入れが感じとれる。

 中学生の頃、洋服のリメイクに目覚めた側さん。高校時代には、シャツやパンツをオリジナルデザインで作って着ていたと言う。アブストアを共同経営する陽子夫人もまた同じ。「母の作った服を着て育った」彼女にとって、洋服作りは日常の一コマみたいな感覚らしい。
 何を着るか。どう着るか。大げさかもしれないが、それは自分自身を映す鏡にも似た行為なんじゃないだろうか。お二人の話やビレッジ推進委の活動を伺って、そんな想いを強くした。

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木嶋さんの願いは、アットホームに暮らせるグループホームをもっと増やすこと。
2006年6月号 vol.9
地域の中で暮らし、働く。あたり前の生活を広げたい。
木嶋 加寿美さん
知的障害者更生施設 柏の実学園/支援部長 社会福祉士

追い風と考えて自立支援法をチャンスに。
 「別海町においしいパン屋があるよ」。評判を聞いて噂の店『オーク』を訪ねたのは去年の秋のこと。道産小麦、天然酵母、地元別海の牛乳しか使わない本物志向とカフェ併設の洒落た店構えの割りに、値段が安い。「安いですね」声を掛けると、「実は、障害者の作業所なんです」そう答えた木嶋さんの柔らかな表情の中心で光るまっすぐな瞳。印象深い出会いだった。
 オークを経営する社会福祉法人べつかい柏の実会は、柏の実学園を核にグループホーム、作業所などを通じて、知的障害者が地域の中で自立して生活できるよう援助している。
 障害者自立支援法が、この4月に施行された。障害者(児)の負担増だとも言われているが、「したくてもできなかった普通の暮らしを実現するチャンスと考えたい。地域の中で共に働き、生活する場所を増やす追い風になると思う」と、木嶋さんは前向きにとらえる。

14歳でホームステイした沖縄で衝撃を受けた路上の光景
 別海町で生まれ育ち、中標津高校を卒業後、迷うことなく日本福祉大学へ進んだ。「中学2年の時、交流事業で沖縄へ行きました。そのとき、通りかかった路上で物乞いする傷痍軍人の姿を見たんです。ショックでした。帰ってからも頭を離れず、障害者をお世話する仕事をしたいと思いました」。
 平成11年、柏の実学園新設を機に、ご主人と別海町へ移住してきた。ご主人悦寛(よしひろ)さんは、障害者を受け入れる民間事業所にしようと、別海町で清掃会社を興す。妻は、施設で自立を助け、夫は彼らの受け皿となる。現代版の婦唱夫随かと思いきや、「いえいえ」木嶋さんは否定する。
「別海に来てからは、彼の方が色んな活動を展開しています。「僕は彼らと一緒に人生を楽しむスタンスでやってくよ」って。最近は逆に私が教わることも多いくらい」。

カサ・デ・ニナマルカ(ともしびの里の家)
 ニナ・マルカは、ボリビア先住民の言葉で、ともしびの里。5年前に建てた自宅をカサ・デ・ニナマルカと名付け、地域活動の拠点にしている。

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いつか生地作りから手がけてみたい。
2006年5月号 vol.8
ゆたかなドレープとルーズなラインの心地よい服を模索する日々。ここに根を張り、自分のスタイルで。
三谷 勇介さん
オリジナルブランドCOZYデザイナー&オーナー

 3年前に立ち上げたオリジナルブランドCOZY。ドレープたっぷりでルーズなフォルムの服は、その名の通り心地よく、布が体を包み込む。
 三谷さんのデザインポリシーの原点は、モード界の先端で活躍する山本耀司だと言う。ワイズ愛用は中学1年から。早熟なファッションセンスに驚く。

鳶職修行を経て戻ったこの道。今の心境は、一心不乱。
 高校卒業後、上京してデザイン学校へ進んだが理由あって中断。飛び込んだ鳶職人を6年間続けた。
「性に合ったんですね。夢中で仕事を覚え、独立目指して遮二無二働きました」。水泳とバレーボールで鍛えた186cmの体格は、鳶の親方姿も想像に難くない。
 だが、身を固めて帰郷を決めた直後に進路は急転、逆戻りすることに。

いつかオリジナルな生地で100%コージィな一着を。
「いつか生地作りから手がけてみたい。筆で大胆に書きなぐる図柄とか…」。中学時代の写生会で無意識に春採湖を俯瞰で描き、先生を唸らせた絵心がうずいている。

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食べることは生きること。健やかに生きる技術と知識は生活力そのものです。
2006年4月号 vol.7
生きる力を授けて送りだす。
それが、私が考える食育の原点です。
畑中 悦子さん
釧路短期大学講師(管理栄養士)

 畑中さんの記憶に深く刻まれた実家の味が2つある。どちらも正月を象徴する料理だ。ひとつはチキンのオーブン焼き。生きた鶏を家族総出で潰して調理した。そして、茶碗蒸し。豚肉と栗入りで一人2個はあたる。冷えたのが好きだったので「翌朝まで兄たちにばれぬ様に隠すのが大変で」と笑った。
 昨年7月から施行された『食育基本法』によれば、食育とは生きる上の基本であり、知育、徳育、体育の基礎となるべきもの、とある。
 畑中さんは言う。「家庭では学歴よりも食歴を優先して欲しい。食歴とは、食の自分史。家族で紡ぐ食の歴史です」。

子どもがいたからこそやり遂げようと思った。
 24歳で長男を出産。産後10週目で臨んだ管理栄養士資格試験に合格した。「育児休業呆けの自分に喝を入れられた気がして…」責任を痛感した彼女は翌春、思い切って日本女子大学通信課程に入学。家事、育児、仕事に加えての学業は覚悟を上回る大変な日々だった。
 9年かかって卒業した春、子供たちも一緒に泣いて喜んでくれたという。

次は、気になる思春期の欠食研究を。
 今後は、思春期の女子中高生に広がる欠食について研究したいとも考えている。「食べ物を分けっこする大切さを強く思ってやってきたけれど、振り返れば、私の苦しさや大変さを周囲のみんなが分けっこして引きうけてくれたからやってこれた。感謝しています」。

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お父さんだけじゃなく、先生や校長先生、教頭先生もみんな、と〜ちゃんズメンバー。
2006年3月号 vol.6
学校の枠を超えた付き合いができるんだよね。
子供と学校、地域をつなぐ父ちゃんの架け橋に。
代表 矢合 浩さん
と〜ちゃんズ(白糠小学校父親の会)
矢合クリーニング勤務

 ここ数年、子供を対象とした犯罪が増え、社会そのものが安心して暮らせなくなってきた。そこで、地域の人が集まって何かできないか、お父さんも先生と接点を持って何かできないか…という声があがり、平成13年11月にと〜ちゃんズが結成された。早速、その年の12月に小学校の体育館で餅つきを実施。つきたての餅は子供に振る舞った後、各教室に鏡もちにしてお供えした。

卒業する子供に贈る父ちゃん手作りの缶バッジ。
 
学校に撮影に行き、パソコンで画像を丸く加工して印刷する。卒業生の人数分を一つひとつ手作業で作る。結成した年から毎年続けている缶バッジ。そろそろまた今年の卒業生に向けて製作に取りかかる時期になるだろう。

白糠のお祭りではもう恒例?!と〜ちゃんズの「しゃてき」
 
と〜ちゃんズの「しゃてき(射的)」が人気を呼んでいる。同町で6月に行われる大漁祭りや、ちえの輪青空広場(小学校PTAのお祭り)、9月のカミング・パラダイス(お祭り)に出店している。学校でしか会えない先生とお店で交流できるという事もあり、子供達が自然と集まる。夏、恒例のサマーキャンプ。ダチョウの玉子焼きは大人からすると大味で決しておいしいとは言えなかったが、子供達は「おいしい!」ともりもり食べていた。「普段経験できないような事をと〜ちゃんズのキャンプなどで子供達に体験させてあげたい」それがメンバー共通の思いだ。

みんな、と〜ちゃんズ。
 お父さん達は先生と仲がいい。父親交流から繋がる親と子供達、学校とのコミュニケーション。もちろん、父と子の絆もより深いものになっている。

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有言実行の人。仲間たちは彼女をそう評する。
2006年2月号 vol.5
ミナオ・ドーレはもう日常の一部なんです。
結婚?続けられる相手が見つかれば。
稲葉 真珠美さん
ミナオ・ドーレくしろ代表

何となく見学のはずが、入会9年、代表3期目に。
 平成9年、二十歳の春。下宿先の親戚に誘われてただ何となくミナオ・ドーレくしろの練習を見学した。流れで入会したのは「断るいい理由が見つからなくて」と、消極的なことこの上ない。
 しかし、無欲な心境は程なく変わる。見よう見真似で踊る内に「元来の負けず嫌いが目を覚ましたみたい。とにかく上手に踊りたくなった」(稲葉さん)。入会2年目、踊り指導担当に。7年目には四代目代表となり、今年で3期目に入った。

10周年記念公演まで、週5日間は汗、汗、汗。
 
もうすぐ10年。大きな節目の春に、記念公演を開催する。その企画書の冒頭にこう書かれている。〜地元立案、地元住民対象、地元出演者。芸能・文化分野の地産地消をめざす〜ブームに乗って2百名を超えたメンバーが数年後50人を割った時、地元に根ざすチームを目指した創立の原点に返ろう、とみんなで話し合った。
 今はひたすら公演成功に向け、週5日間、汗に汗を重ねる練習漬けの毎日。

 饒舌な女性ではないが、踊りとチームにかける熱い気持ちはストレートに伝わる。「ミナオ・ドーレは食事と同レベルの日常なんです」とキッパリ。「もっと完璧に、よりカッコ良く踊りたい。10年目も目標は変わりません」。

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斎藤さんは何度も、縁という言葉を口にした。数珠が一粒欠いてもバラバラになるように、人と人も縁でつながり、縁を継いでいくと例えた。
2006年1月号 vol.4
師(父)と同じ道を歩んできて
その大きさに気づけたことが幸せです。
斎藤 章彦さん
曹洞宗 恵海山 吉祥寺 住職
厚岸郡厚岸町梅香町1-51 TEL0153(52)2061

宗派にとらわれない安住の地でありたい
 吉祥寺7世住職、斎藤章彦さん65歳。4年の歳月をかけて平成12年に落成した、この大涅槃像と納骨堂についてまずはお聞きした。
 「涅槃は、すべての悩みをなくした悟りの境地。その像は、釈尊のお姿です。曹洞宗を日本に伝えた道元禅師が説かれたように、宗派にとらわれない永眠安住の聖地をと考えました。でも、たくさんの人々との縁がなければ、叶わなかったこと。感謝にたえません」。

行もまた禅の心で生きる道標を伝える
 
19歳の夏に寺を継ぐはずの長兄が事故で逝き、20歳の春には6世住職の父親が他界した。後継を決意。雲洞庵(新潟県)での修行は、田植え、味噌仕込み、托鉢などまさに道元禅師の教え、行もまた禅なりの実践。斎藤さんは言う。「信仰とは、人生のナビゲーターだと思います。生きる道標だと。今の私に導いてくれたその道標をしっかりと伝えたい」。

 明治9年に開山した吉祥寺は、これまで7代受け継がれてきた。斎藤家としては、章彦さんが4代目。そして、5代目を次男の章道さんが後継することになっている。

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思いつくとまずやってみるの。失敗するでしょ、でもめげずに次を考える。製品開発してる時が一番幸せ。
2005年12月号 vol.3
トラックやスポーツカーに追い越されても私はやっぱり徒歩で行く。仲間がいるから…。
山本 恵子さん
根室罐詰株式会社代表取締役
http://www.yamahon.jp

きっかけは、新聞のトピックニュース。
 父親(故山本敏美二代目社長)が同社の販売担当だった関係から、山本さんは東京で育ち、東京で結婚した。従順な一人娘が唯一、親に背いても選んだ結婚にピリオド、娘たちを伴って札幌に落ち着いたのが昭和60年だった。同社売店を手伝い始めるが、恥ずかしくて接客できない。
 まもなく、そんな彼女を一変させる出会いが起きた。きっかけは、新聞のトピック・ニュース。食品コンサルタントの磯部晶策氏が主宰する、食品の品質と伝統を研修する集まりの紹介記事だった。磯部晶策氏が提唱する良い食品の四条件(安全で安心、ごまかしがない、味がよい、品質に応じた買いやすい価格)に共鳴した彼女は、札幌と根室を夜行で往復し始める。
 しかし、既に缶詰は斜陽化し、業界では冷凍食品への転換が大勢となっていた。彼女の意見は猛反発を買った。

ピンチと不幸を娘達と乗り越えて。
 程なく根室に居を移すと、さらに精力的に良い食品づくりに動いた。、ベテラン経理員の定年退職。時期を同じくして父親が他界。ピンチと不幸に打ちひしがれたとき、支えとなったのは、二女千帆さんの助けと「この目で耳で学んだのだから」という確信だった。

根室近海産、旬の魚貝を手詰めで。
品質への信念は揺るぎなく。
 信念を貫きひた走る人だが、柔らかな物腰でほわんとした印象さえ与える。語り口もおっとりと女らしい。「思えば、祖父がカニ缶工場を創業、父はイカ豊漁期に冷凍加工で会社を守り、私が引き継いだ。何よりも品質の良さを貫き通す精神は同じなんです。」

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店内の棚や木箱に、ズラリと並ぶおよそ八百種類、一万本のワイン達。「ワインにカードを付けて顔を見せてやりたいんだけど」と、苦笑い。
2005年11月号 vol.2
元詰めワインに魅せられて十七年。
選ぶのは、知識より自分の鼻と舌で。
山本 祐一さん
山本商店(標津町)専務
釧路交響楽団所属
標津チェリーブラスアンサンブル所属
クラリネット奏者

昭和63年、網走の試飲会で出会った運命の1本
 「網走で開かれた試飲会に参加して、ワイン輸入元の稲葉さんと一本のドイツワインに出会えた。昭和63年のここが始まり。以来元詰めワインに魅せられて17年。もう切り離せない存在です」。(株)稲葉も、ドイツで一人の元詰め生産者に巡り会い、酒屋から輸入元に転身したという。奇縁だ。

おばあさんの自家製苺シロップ
 幼い頃から酒の風味に敏感だった。「祖母は自分で育てた苺を収穫して砂糖をまぶして保存してました。翌日、溜まった苺シロップを舐めると美味しくて。冷蔵庫がない時代だからこその味かな」。七歳にして果実酒に目覚めている。

醸造元めぐりの欧州旅行
 稲葉社長に同行して、これまでにドイツ、フランス、イタリアを訪問した。ひたすらに葡萄畑を歩き、醸造蔵を見てテイスティングを繰り返した。一週間が限度の旅程に、観光名所が入る余地はなかったという。

 研究熱心な山本さんがこれまでに蓄えたワイン知識は計りしれない。けれど、「美味しさは感覚。あくまで自分の鼻と舌で選びたい。」「これからは穏やかさを追求してみたい」とも。

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長女を背負ってお産を介助したこともあります。二人の娘にとって、お産はもう日常的なできごと
2005年10月 創刊号
自然なお産を求めて、選んだ開業の道。
生命と性を考える会も歩き始めました。
成瀬 恵さん
助産院マタニティアイ(釧路町)院長
愛と生命のネットワーク事務局長

 北海道深川市出身、三十七歳。十歳の時にテレビで観た動物の出産シーンに感動、「お産に携わりたいと思った」。中学卒業時には、「目指すは助産師」と意思が固まっていた。

助産師になって病院で働く内に、色々な疑問が頭をもたげてきました。ちょうど、尊厳死問題が盛んに論議されていた頃でした」。 予め出産の日を決めたり、早く産むために手当てを施したり。「出生の尊厳はないの?指示を待つだけの助産師でいいの?」成瀬さんは、不自然に感じるお産方法に異議を唱える一方で、非力な自分自身の立場を痛感、悩んだ。 マタニティアイを訪れたのは、そんな夏だった。

足を踏み入れてすぐ思った。「ここでお産を介助したい」
 「出産して三週間目の自宅訪問に出かける春日井院長(当時)に同行しました。病院勤務の助産師と違って、開業助産師は、出産後も母子とこんなに深く繋がっているんだと知りました。私の求める助産師の姿でした」。 開業助産師になろうと決めた彼女は、病院を退職。開業助産師教育長期研修に応募して一年間、大阪、奈良、東京と助産院を行脚して経験を積んだ。そして、平成十年春、助産院マタニティアイへ職員として戻ってきた。

彼女に改めて聞いた。「自然なお産って、どんなお産ですか」間髪入れず、答えは返ってきた。「それは、産む人が主体のお産です。 不要な医療を介入させない、自分の体のリズムに逆らわないお産。

愛と生命のネットワークは、性に迷う若者達の道標に
 助産師になって十四年目の今年、彼女は助産院の院長となり、新しい活動もスタートした。お産の介助は二十四時間体制の構え、私生活では二児の母親。「息抜きする時間はありますか」と尋ねると、「週一回、アルトサックスを習ってます」。大きな瞳を見開いて、少しはにかんだ。

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    過去の本音対談は(2008年3月号 vol.30〜2007年6月号 vol.21)こちら
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