過去の本音対談(2007年5月号 vol.20〜2006年8月号 vol.11)
マリマリマリモシリーズのペーパーホルダーとティッシュカバーは同温泉街の4つのホテルでのみ販売。客室の備品にもなっている。(阿寒ロイヤルホテル、ホテル御前水、ホテルエメラルド、阿寒ビューホテル)
姉妹店『マリモ・どっと・こむ』(同温泉街幸運の森商店街)には、マリマリマリモシリーズ商品が大集合。
2007年5月号 vol.20
感覚のズレや売れ筋の違いが、面白い発見。
会話?英単語と漢字、ジェスチャーで通じてますよ。
吉田 幸司さん・ 智恵さん
観光民芸品卸 歓光堂(釧路市阿寒湖温泉)


突然の訪問、商品共同開発の申し出。
マリモに魅せられた香港プランナー。
 あわただしい最中、その人は突然やって来た。
 香港に養殖マリモを卸して欲しいと言う。それだけでも前例のない話だったが、さらに、「自社でマリモ商品をオリジナル開発したいと思います。一緒にやりませんか」と、提案された。応対した吉田代表は、唐突な申し出に面食らった。
 その人とは、香港でお土産品を初め各種キャラクター商品を手がけるプランナーのチャン・コンラッドさん。彼が差し出した名刺の社名は、すでにマリモカンパニーと刷られていた。
「香港で放送された北海道特集番組を観て、阿寒湖のマリモに強く惹かれました」と、熱く語ったチャンさん。吉田さんが受諾すると、すぐにメールやファックスで新商品のデザイン案が送られてきた。
「イラストや色使いなど、感覚の違いに初めは戸惑いましたね。第一弾のマリマリマリモシリーズのイラストは、私たちの目には幼児向けに映りましたがvでは幅広い世代に受けています」

第3弾、第4弾の発想は阿寒から。
阿寒生まれ、香港育ちのファンシーグッズがこの春、香港と全道で同時発売。
 出合いから5年半。試作段階で消えていったグッズもたくさんあった。メールやファックスの交換数はもう千回を超えたかもしれない。その分、ビジネスパートナーとしての信頼は確実に積み重なっていった。
 第3弾『熊の手シリーズ』は、歓光堂のアイディアで作られたもの。第4弾も同じく阿寒発の提案で作業が進む。

お土産は「贈る」より「記念」が主流。
個人需要志向は、コンパクトで個性的。
 昭和36年、木彫品などの卸しも商う物産店として創業。時代の流れは、お土産という言葉の意味も変えてしまったようだ、と智恵さんは話す。
「贈る習慣は薄れて、自分達の旅の記念品を求める傾向が強いですね。コンパクトで個性的な品が喜ばれます」
上へもどる
1942年釧路市鳥取生まれ。
9歳で映画の虜になって55年間、ひたむきに愛し、その魅力を発信する活動を幅広く展開している。
2007年4月号 vol.19
旅行先でも映画館に入っちゃうねぇ。
ホノルルのアイマックスシアターは凄いよ。
高橋 国治さん
釧路新聞連載中『おもいで映画館』文章担当
映画研究家(釧路市)


釧路の高校初の映画研究会を創立。
学帽、詰襟で映画館へ優待交渉にも。
 小学校3年で映画熱が発火。週末は決まって北大通へ向かった。昭和30年代当時は、映画全盛の真っ只中。栄町には東宝、東映、日活オデオンなど6館が軒を連ね、日曜毎に人波でごった返していた。
「内気で対面恐怖症気味だったんですけど」、映画のためなら勇気が出た。
「学生が優良映画を安く観られるようにしたい」と、配給会社の宣伝マンみたいな発想から高校2年で映画研究会を創る。照明を工夫し、サントラ盤を流した文化祭の上映会は大評判。気がつけば、行動派の映画青年になっていた。

私の〈邦画ベスト1〉『七人の侍』
●脚本、音楽、キャラクターすべてが秀逸。
私の〈洋画ベスト1〉『ベン・ハー』
●人間性が凝縮された 意味深いテーマ。
私にとっては、一作一作がアルバムみたいなもの。半生の思い出そのものです」
 昭和36年就職。初任給7千円、映画料金230円の時代。休日は映画を観て、その足でサントラ盤を買いに行き、いきつけの店で映画談義に花を咲かせた。
 映画通が知れ渡って新聞やグラフ誌の取材を受けると、そのコレクションも注目され出す。膨大な収集数に及ぶチケット、ハガキ、レコードなどの展示依頼も「お役に立つなら」と、高橋さんは気軽に応じてきた。いつも大入り。
「古いチケットの向こうに色んな出来事が映し出される。私にとっては、一作一作がアルバムみたいなものだね」


3月中旬に完成したばかりの『釧路映画ロケ地イラストマップ』
「挽歌」「網走番外地」など全37作品を掲載。
問い合わせは、釧路市観光振興室T0154-23-5151

映画好きの仲間たちと
釧路っこらしい何かを残したくて。
 釧路市在住の映画を愛する仲間と共に手がけた『釧路映画ロケ地イラストマップ』(釧路初)が、さきごろ完成した。
 地図を広げ、通いつめた映画館を指さしながら夢中で語る高橋さんの目に、少年が宿る。『映画は人を幸福にすること』(映画発明者エジソンの言葉)
上へもどる
「お金や物質に片寄らず、自分が本当に豊かでなければ、豊かな作品はつくれない」
小さな苗を植えて17〜8年。
背丈を超えるほどに成長した桜バラは真夏に花開く。一年一度、一週間の美しさ。
北海道グッドデザイン選定
北海道芸術の森・収蔵
5月初旬のスノードロップから10月のヘレニウムまで、世界中から取り寄せた数百種類の花々が次々に咲き誇るガーデン。
北欧舎の家具は全てオーダーメイド。デザイン細部まで相談に応じてくれる。
2007年3月号 vol.18
暮らす土地が育んだ命たちと
共に生きる。ごく自然な生活です。
木村 優さん
家具工房「北欧舎」代表(標茶町)

問い合わせ、ご注文は…
TEL&FAX015‐487‐8020
作品や暮らしぶりはホームページで…
http://www.sip.or.jp/~kokemomo/file2/index.html

一人の道具屋の親父との出会い。
長年の憧れに道が開けた。
26歳の春、欧州全土を巡って半年後に帰国。
道は見えた。
「大きな自然のなかで暮らしたい」。
木村さんは子どもの頃からそんな憧れを抱きつづけてきた。
 夜学の短大に通い始める。そこで山岳部に入ると、岩登りにのめり込んだ。それは、少年時代からの憧れの世界と同じもの。バイトで稼いでは岩山へ走る、登る。そんな生活を繰り返していたある日、バイト先で残った板をもらった。
「なぜか、はた織り機を作ろうと思い立って、まずは道具屋へ向かいました」。
 たまたま入った店の親父に手ほどきを受けた木村さんは、毎夜、必死で技と道具を磨き出す。
「木工なら、僕が望む山暮らしにピッタリだと気づいて、指に血が滲んでも懸命に研ぎました」。
 そして25年前の春、テントを背負い、シベリア鉄道を横断。フィンランドを皮切りに多くの家具工房を訪ね歩き、日本では見られなかった様々な手法とデザインに触れた。半年後の秋に帰国。家具職人になる。

4haの中の2百坪。
大きな原野の小さな花園に、土・水・光が生みだす生命の原点を感じて。
 北海道に戻ると、家具作りの傍らで土地を探し求めた。本州、道内各地を下見して’84年秋、ここ北片無去に来た。
 木村優さんとパートナーの隆子さんが「豊かで贅沢な生活への彩り」として丹精込めて育てる花々が、真夏と真冬で温度差70℃にもなる厳しい環境に耐えきれず、いくつも消えた。それでも、20数年にわたって世界中から取り寄せ、この地に根付いた数百種類の花たちが咲き誇る。

最上級の木材、道東産ミズナラを使う。
地産地消、自給、本当の豊かさ。
 北欧舎の家具は、道東の風土に耐えぬいた樹齢2百〜5百年のミズナラ中心に制作される。仕上げはオイル。
「百年、2百年と使える家具です。色は歳月が自然とつけます。だからこそ普遍的に洗練されたデザインが不可欠」。
 そこには作り手の生き方が反映される、と木村さんは続けた。
「野菜はすべて自給。バターや石けんも作ります。作ることで気づき、そして自分自身が豊かになれるから」。
上へもどる
鶴居村上幌呂出身、在住。80歳。
染めて良くほぐした羊毛を紡毛機で毛糸玉にしていく。
2007年2月号 vol.17
昼は織り物、朝晩は編み物と決めて
おしゃべりしてても、手は休まないの。
松井 マサさん
羊毛作家

羊毛100%で手染め、手紡ぎ、手編み、手織りのオリジナル作品『マサおばあちゃんの手織りもの』を釧路市内の下記2店にて販売中。その暖かさが評判を呼んでいる。
■玄米雑カフェあまむ
 釧路市堀川町5‐38 TEL0154‐23‐5594
■ギャラリー喫茶ココペリ
 釧路市阿寒町徹別 TEL0154‐68‐7262

洗うだけでもひと苦労の羊毛を
染めて紡いで、織ったり編んだり。
 羊毛で作る松井マサさんの手仕事の結晶は「マサおばあちゃんの手織りもの」と名付けられ、昨年6月から釧路市内で販売されている。…うんちだらけの羊毛を洗い、大地の恵みで染めあげ、一本一本紡ぎ、色を組み合わせ、織りあげる。気の遠くなるような作業の繰りかえしです…
 紡毛機と織り機を使うとはいえ、それとて手動。長い行程のすべては、年季の入った働き者なマサさんの両手がこなす手の技だ。
 50歳で長男夫婦に農場を任せると、マサさんは手なぐさみに家族のための手袋や靴下を編むようになった。
 63歳の時、地元の羊毛サークル発足に参加。本格的に染めや紡ぎなどに取り組みだした。
 先日も新しい本を取り寄せたばかり。研究熱は、今も健在だ。

真冬の早朝、郵便配達を手伝った事も。
乳搾りも堆肥出しも手作業だった。
 昭和23年、松井旭さんと結婚。花嫁タンス代わりにと親が持たせてくれた乳牛2頭で就農した。最初の住居は、「牛と一緒に寝る掘っ立て小屋を建てて、雨風しのぐのが精いっぱい」という有り様。
「春夏秋は農場と郵便配達、冬は飯場に泊まり込んで木材の切り出しと、主人は黙々と体を動かしていた。私も時どき手伝ったけど、冬の配達は、寒くて辛かったぁ」。
 酪農がしたくて次男は農場に婿入りしたと聞いた。苦しくとも希望に満ちたご夫妻の背中が目に浮かぶ。

更年期を体操で弾きとばして海外へ。
アラスカ上空をセスナで遊覧の旅。
 マサさんは、毎朝ラジオ体操を欠かさない。
「更年期だったのか体調が悪くてね。体がなまってるんだと思って始めたの」。
  元気になると、海外へ飛び出した。念願だったアラスカでは、「セスナ機で遊覧した感動は忘れない」と、目を輝かせた。その前向きな行動力と旺盛な好奇心には頭が下がる。
上へもどる


「このドラム缶風呂、夏に大活躍したんだよ」(福浦さん)森の一軒家ならではの開放感。
福浦さんの本気にこたえて二人三脚の建設を請けた石川工務店の石川盛雄社長(写真左)と。
2007年1月号 vol.16
ネイチャーフォトの虜になって移住を決めた。
景色と人に惚れちゃったからさぁ。
福浦 道行さん
元消防士
ライフワーク/ネイチャーフォト 趣味/浪曲、日曜大工などなど


素人が自分で家を造る。
石川さんに出合えなきゃ挫折してた夢だった。
 平成17年春、川崎市消防局を早期退職。茨城県の自宅に妻を残して単身来釧した目的は、弟子屈町奧春別に第二のマイホームを建てるため。しかも自分で。そのための大工修業を経て、6月中旬に自宅工事はスタートした。
 林道を抜けた森の奧、周囲の緑に溶け込むように三角屋根のウッドハウスは立っている。
「いやぁ大変だったよ」と、明るく笑う福浦さんに「プロだって業者に頼む配管、板金、塗装、建具まで二人でやったからね。でも愛着が違ってくるよ」と、石川社長。

ポイントを探す。セットして待つ。シャッターを切る。過程すべてが醍醐味。
 29歳の時「ネイチャーフォトをライフワークにしよう」と撮影旅行に乗り出す。以来30年、道東に通い続けてきた。「道東の風景は心に訴えてくる感動の大きさが違う。中標津、屈斜路、鶴居と季節毎に来てみて、真冬の美しさが一番かなぁ」。「構図を考えてシャッターを切るまでが僕は好きなんだ」。
鶴見台(鶴居村)で撮影した会心の一枚。モニュメントの隙間をタンチョウが飛ぶ一瞬を延々待ち続けた。
 家造りが住める段階まできて、福浦さんは今思う。
「人生に似てるんだよね、家造りって。急ぎすぎたり知ったかぶりをすると脆くなる。謙虚にコツコツ積み重ねて、迷ったら人に尋ね、疲れたらひと休みして、少しづつ足していきたい。終わりはないから」。新天地での生活に希望膨らむ61歳。青写真は、すでに出来ている。
上へもどる



鮭カレーパンの具は、玉ねぎ、にんじんと浜中産の秋鮭、天然昆布。隠し味にトマト少々。
2006年12月号 vol.15
「浜中町らしくておいしいですねぇ」って、
喜ばれるのが嬉しくて続けています。
『とんがり帽子』
(浜中町*問い合わせは、TEL・FAX0153・62・3412)
地元特産品の開発を目的に平成13年春に発足した女性グループ。
浜中の鮭や昆布を使ったオリジナルなパンやお菓子を製造販売している。


海の幸がギュッと詰まった鮭と昆布のカレーパン。
地元かあさん達の知恵袋が、浜中の恵みを生かす。
 朝9時。調理場を訪ねると、パン生地の一次発酵を待って一服するところ。あうんの呼吸でキビキビと立ち働くお母さん達の動きは、手際が良くて無駄がない。
「食べてごらん」。味見したパンの具材には、浜中産の秋鮭と天然昆布がたっぷり。 トマトの酸味がアクセントのカレー味は、口当たりがやさしい。
一次発酵した生地を伸ばして具を詰め、形を整える。油の温度調節、パンの浮きを抑えてキツネ色に揚げるまで、全行程が手作業。

 地元商工会の特産品開発に協力の手を上げた7人の女性グループ『とんがり帽子』。活動は6年目に入った。
 道具はどれも一般家庭の台所と同じものばかり。
「道具にお金なんて掛けないよぉ。失敗したら工夫して、その繰り返しでここまで漕ぎ着いたのさぁ」。
 浜中の恵みと浜の母さんの心意気が詰まった鮭カレーパンは、1個150円。霧多布湿原センターで販売中。

手間を惜しまず、何度もチャレンジ。
 昆布入りソフトクリームカップもある。こちらは、霧多布温泉ゆうゆでしか食べられない。お風呂上がりに、眼下に広がる海を眺めながら頬ばるとピッタリくる。ソフトクリーム250円。
 とんがり帽子の鮭カレーパンは、冷めてもふっくらして変わらない。
「こうなるまでは、形や材料を変えて何度も何度も試作したんだよ」。
 失敗作をおやつ代わりに反省会(井戸端会議?)が始まる。身振り手振りを交えて話に花が咲いていく。疲れを吹き消す明るい笑顔。
 母は強し、そして賢し。

上へもどる


竹田屋商品の詳細はホームページでどうぞ。
http://www.takedaya.biz
2006年11月号 vol.14
デトックスって言葉は知らなかったけど、
体内浄化はずっと意識してきたねぇ。
竹田 修至さん
頑固豆腐 竹田屋(標茶町) 代表取締役


妥協を許さず味と伝統を守る。
二代目の姿から名付けた「頑固豆腐」
 帯広で生まれ育ち、釧路で青少年期を過ごした竹田修至さんは、昭和58年結婚を機に竹田屋に入った。
 義父で二代目の竹田良顕(よしあき)さんの元で修業を始めて一年後、「この旨い木綿豆腐をもっとアピールしたい」と、ブランド化を発案。まじめで一徹な職人気質の背中を見つめて浮かんだ名前が、頑固豆腐だ。今では、竹田屋イコール頑固豆腐と言えるほど、その知名度は高い。
 趣味が高じて習得した燻製技術で作った「無添加そうせいじ」は、豆腐5割・肉5割のヘルシー食品。添加物なしでソーセージを作ると「色は悪いし固まらないし、最後は豆腐に助けられました」と、裏話を教えてくれた。

4年前に本気で始めた体質改善。
「知れば知るほど豆乳」だった。
 2年前に発売した「超乳米」は、竹田さん自身がダイエットと体質改善に取り組んだ苦労の結晶と言える。
「遺伝的に糖尿病体質なんですよ。発症の可能性は十分あったし、太って立ち仕事が辛くなっていたし…」。
 旺盛な探究心で、病気やダイエットの専門書を読む。栄養学も細かく調べる内に、改めて豆乳の体内浄化力にも気づかされた。
 試行錯誤を繰り返しつつ食べ続けて数ヶ月。10kgの減量に成功していた。コレステロール値と血糖値も下がり、糖尿病の心配も薄れた。

三代目の意地で編み出した抜打(ぬかうち)製法。
口どけの絹ごし「なま絹」誕生秘話。
 3年前に完成させた十勝大豆100%、本にがり使用の「なま絹」こそ、三代目の竹田さん自身が技を磨いて造り上げた新しい看板商品だ。
「上等なゆえにもろい十勝大豆で、しかも絹ごしを本にがりだけで寄せるなんて、多分よそでは考えないでしょう。でも極めたかった。二代目の木綿に匹敵する、三代目の絹ごしとして」。
上へもどる
「子供たちに食べ物を制限したことはありません。言葉にするよりも自分のしていることを淡々と見せるだけでいいと思って。いつか気づいてくれるといいなと願いつつ…」。

2006年10月号 vol.13
自分の心と体の質を知ったから気づける。
いま必要なこと、補ってあげるものに。
川原 稔江さん
しっでぃぐり〜んネットワーク(釧路市阿寒町)
釧路市阿寒町舌辛原野14線23‐25
T0154‐66‐2608(土日休)


‘完全な健康’を目指す、
マハリシ・ヴェーダ医療に共感して。
 彼女が10数年前に出会ったマハリシ・ヴェーダ医療は、古代インド発祥のアーユルヴェーダに現代的な検証を加えた自然療法で、心身を完全な健康に導く予防医学に重きをおく。
 その診療の中に、デトックスの元祖と言われる心身浄化法(パンチャカルマ)もあり、川原さんは5年ほど前に5日間のプログラムを体験した。
「病気や悩みを抱えていた訳じゃなく、健康診断のつもりでした。2人の女性が全身にオイルを塗るトリートメントは、手の動きが優しく同調して心地よく、日を追うごとに頭も体もリセットされていくような感覚でしたね」。
「この体験以降は、日々のストレスや忙しさでバランスをつい崩すことはあっても、浄化を体感する前よりずっと、自分の心身の変調が分かります。それは大きな差ですね」。

気持ちがいいから続けられる、デトックスな生活習慣。
 マハリシ・ヴェーダ医療を知って始めた生活習慣がある。朝の舌掃除、白湯を飲む事、オイルマッサージがそう。ちなみに、寝ている間に舌の表面についた老廃物をとる舌掃除は、戦前の日本では普通に行われていた。
 改めて、ヴェーダ医療に出会ってからのご自身の変化について振り返ってもらった。
「一番変わったのは、内面かもしれません。昔は人の声を気にして不安になりがちだったけど今はない。強くなれたなって思います」。穏やかな声が一瞬、凛と響いた。

上へもどる
地上4.5m、鳥の目線で自然を眺める。宿泊可。

2006年9月号 vol.12
木の上で、ただぼーっと過ごすのもいい。
何もしてないときこそ新しい発見がある。
横田 宜伯さん
白糠町青少年旅行村 管理人 NORTH STATION 代表


星を観たくて野営を覚え、
カヤックに魅せられて道東に通った。
 24歳で天体望遠鏡販売店(名古屋)を開業した。カヤックの魅力にはまった横田さんは、アウトドア用品を拡充してキャンプツアーやガイドを企画。人気を呼び、何度も道東を訪れていた。
 阿寒に移住。アウトドアガイドNORTH STATIONを始める。平成16年、拠点を当地に移して白糠町青少年旅行村の管理人を兼務している。
 入村5組を念頭に5棟のツリーハウスを計画。先月、1棟目が完成した。樹齢数世紀のミズナラを核に、すべて手作り。

50歳で大工を辞め、父は漁師になった。
 ツリーハウスの設計から施工まで自分でやった横田さん。実は、門前の小僧なのだ。父親は、大工だった。今で言うフリーの職人。大阪で50歳まで大工を続けた後、スッパリ辞めて故郷の島根県で漁師になった。
 天体観測に夢中だった横田青年は、天文台や望遠鏡を製作する会社(京都)に押し掛け入社する。そこは、技のエキスパート集団。施行現場では資材運び、道具準備と奔走した。職人に見込まれて仕事を教わる術は身についていた。

ハレー彗星のために退社、豪州(オーストラリア)へ。
 入社4年目の86年、横田さんは2ヶ月間の長期休暇を申し出た。仕事は楽しい、会社に不満はない。ただ、ハレー彗星が接近していた。

研修心を燃やすブルーベリー栽培。
株オーナー制の無農薬畑も準備中。
 毎朝5時に起きて、ブルーベリーの世話をする。およそ2時間かけて。「山で自生してる準高山植物なのに、道東では育ちにくいと聞いて調べてみたら、意外と未研究な植物。数種類を露地とハウスで栽培中です。来年は、株オーナー制にして増やしたい」。

上へもどる
基本ガイド2時間コース
1名…3,500円〜
詳しくは、
TEL090・1648・5575
FAX0153・22・3471
(木村まで)

2006年8月号 vol.11
いっしょに歩いた人たちがサポーターになっていく。
「ラクル頼むよ、守ってよ」それは責任、そして喜び。
木村 初美さん
ねむろ自然ガイド・ラクル 代表


見て触れて、感じてもらう道具を小さな体に満載。
図鑑、虫メガネ、スコープ…縫いぐるみや掛け軸も。
 あっ、今のさえずる声、聴こえましたか?」木村さんの呼びかけに木道を行く足を止め、空を仰いで耳を澄ました。
 世界で国後とここ春国岱にしかないという砂の丘のアカエゾマツの森の中、澄んだ声の主は青い小鳥ルリビタキだった。
 根室に嫁いで25年。二人のお子さんは巣立った。嬉しそうに差し出した携帯電話の待受画面に映る愛くるしい赤ちゃんを「初孫なんです」と紹介されて驚く。おばあちゃん?その瑞々しい笑顔からは想像もできない。

根室の大自然は、窓枠観光で通過するには惜しい魅力に満ちている。
 平成13年4月、受講仲間「自然ガイド養成講座」と「ねむろ自然ガイド・ラクル」を起こす。
 ラクルは、アイヌ語で霧の意味もあり、根室独特の風土を育んだ「海霧」と名付けた。頭文字Rを図案化したマークには、春国岱の森とオホーツク海、その境目に立つアカエゾマツ、双眼鏡が描かれている。「メンバーはみな生粋の根室人。開拓の歴史や昔話も語れるガイドです」。
 活動5年目の夏、ラクルと同じ気持ちで春国岱を見守る仲間が作曲したテーマ曲『ラクルの子守唄』がCD発売され、8月19日には、根室市内の清隆寺でお披露目ライブも開かれた。

上へもどる
    過去の本音対談は(2008年3月号 vol.30〜2007年6月号 vol.21)こちら
    過去の本音対談は(2006年7月号 vol.10〜2005年10月 創刊号)こちら
最新の本音対談にもどる
今月のえぷろんな人
えぷろん特集
根ほり葉ほり
毎日ウフフ
温泉・日帰り・ぐるめ旅
すこやかカルテ
道東食材紀行
やさしい台所
自腹でお買いあげ
えぷろんサロン
アンケート結果報告
過去の企画…………………
本音対談
オシャレは冒険
暮らし玉手箱
感動サプリメント
井戸端クッキング
えぷろんクリニック
美食手帖
花を愛して花に癒されて
ビーズフル・デイズ
家が好き